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高齢化社会に対応していく東栄会自治会

東京都立川市栄町5丁目5番地の3

愛宕神社

愛宕神社の歴史
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所在地:立川市栄町2-45-1

旧地名:北多摩郡砂川村字江ノ島道東3840

愛宕神社は、か遇突知命(かぐづちのみこと)又の名、火産霊命(ほむすびのみこと)と申す火伏せの神、

防火の神をお祭りした神社で、氏子崇敬者を火難から守ることによって、

家内安全商売繁盛の福徳を授けてくださるものとて信仰されてきた。

江戸時代、元禄の華やかな文化が開花した時代の後、幕府は財政的にも厳しい時代に突入していた。

そこで徳川御三家から抜擢された8代将軍吉宗は、世にいう「享保の改革」を推し進め、財政確保のために、

新田開発を全国に促した。当時の武蔵国でも各地で新田開発が進められ、御当地南砂川でも、

東大和市芋窪の農家が芋窪新田(今の栄町2丁目、3丁目あたり)を開発した。その際に、心の拠り所としてお祭りされものが今ある愛宕神社である。

この芋窪新田開発の代表者は、木村助右衞門という人で、村を火難から守るために、親村である、武州村山郷芋窪村より愛宕神社を勘請し

、享保8年(1723年)にはじめて社殿を造って奉納したと伝えられている。

助右衞門の末裔が現在南砂川に在住である。

境内は、408坪で、元文元年(1736年)に時の徳川幕府から免租地として公認されている。

そして時代がすぎ、明治43年(1910年)9月、当時の氏子によって社殿を新築奉納した際に、

境内の北側地続きの氏子の共有地450坪を借用、そこに、社殿を建てて、現在の姿になった。

現在の境内は社有地408坪、共有地450坪、併せて858坪の広大のものになっている。

さらに、昭和43年(1968年)に、明治百年記念として、近隣自治会(東栄会含む)と昭和学園(当時昭和第一工業)が協力し

、社殿が改築奉納された。

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毎年1月1日、元旦祭が催され、1年の無事を願い、多くの参拝客で賑わう。(写真は参拝客を出迎える和太鼓)

境内で参拝客に、無料の甘酒、豚汁を振るまうのも魅力の一つになっている。

余談になるが、江戸時代幕末は、治安、風紀が乱れた時代でもあり、関東一円に俠客が闊歩していた時代でもある

。清水次郎長、国定忠治、飯岡助五郎など当時の横綱クラスの俠客であるが、関脇クラスに相当するであろうか

、武蔵国小金井村出身の俠客「小金井小次郎」がいた。その子分は2000人余とも言われている。

愛宕神社拝殿の東側に、神を祭った小さな社(やしろ)があったらしい。その後に最近まで石が置かれていた。

この社(やしろ)に手をあわすと勝負に「勝つ」という「謂われ」があった。

これは小金井小次郎の子分で、この土地の人が、賭博を開いたことに由来するらしい。

 

 

小金井市にある小次郎のお墓の墓石に、奉納者として砂川村出身者の名前が刻まれている。